心の値段

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お墓や仏壇は何故高いのか?
最近でこそ墓石も仏壇も、激安店みたいな名前も聞いたことがない店舗や看板を目にするうになりましたが、20年程前はホントに高額でした。また求められる人も、そういう高額な墓石や仏壇を求められていたように思います。従って出来星大名みたいな墓石店や仏具店はあまり存在していませんでした。

【お金】は言うまでもなく我々の生活を支える基盤であります。まずは衣・食・住の基本があり、次いで教育、趣味、娯楽等々・・・。さらに消費していく過程において、『欲するモノ』と『欲しないモノ』の二つが存在します。お気に入りの時計やバック、車は前者に属し、お墓や仏壇は後者に属します。さらに言えばお布施や寄付、ボランティアも後者に属します。前者に関してはいいでしょう。問題は後者の『欲しないモノ』の心の動きです。ズバリ『あまりお金はかけたくないが、そこそこ見てくれが良くて・・・』これが本音ではないでしょうか?その心理は売る側も心得ていますから、見てくれの良い安い商品を勧めてきます。しかし安物は安物でしかありませんから、数年でボロが出ます。墓石の場合は野外のため、それが顕著です。では高級な石材を使うから高いのか?と言えば、それも違います。

要はこの『欲しないモノ』に支払う【心の対価】で、墓石や仏壇の値段が決まるのです。以前もココで書きましたが、【布施】の【施す】は、『ほどを超す』が語源でありますから、ホントは出したくないモノに対して、どこまで自分の【心】が頑張れるか?ということが一番重要です。その値段が求める墓石の価格であります。
良い石材店は、お客様の【心の値段】に見合う墓石を勧めてきます。実は儲けから言えば、この方が少ないケースが多いようです、何故なら、それに見合うギリギリのモノを作ろうとしますから、当初予定した予算を越えるなんてことは、しばしばです。

このことは日常の付合いや会話でも垣間みることが出来ます。誤解と批判を恐れずに言えば、この『欲しないモノ』の【心の値段】が、『欲するモノ』に対して支払う対価に
対して極端に少ない人は、あまり期待できないように思いますが・・・。まあ他人の事ですから、どうでも良いと言えば良いのですが。

丁度ゴールデンウィークの真っ最中で、当地の祠堂施餓鬼法要や田植え?(実は農家も
していますので・・・)何かと忙しく更新が遅れた分、長くなりましたが、思うところ
を書いてみました。

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